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イタリアの首都
ローマへの旅
(イタリアへの旅こちらを参考下さい。)

古代ローマの息吹が感じられるフォロ・ロマーノ(写真は観光局資料より)

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ローマ
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8~24℃-8Hr
(ST:-7Hr)

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ローマの主要観光ポイント
ローマ
現地時間
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(初期画面では、地図上の多くのマーカは重なって表示されています。ご覧になりたいポイントを、カーソルで画面中央に移動し、徐々に拡大(+方向)し、必要に応じて地図の形状(航空写真、地図、地形)を切り替えてご覧下さい。)
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観光都市ローマ
「世界遺産のローマ遺跡はどこでしょうか」、足元を指さされ「ここだ!」。初めてローマを訪問、テルミニ駅(ローマ中央駅)降り立ったときに、駅員さんにした恥ずかしい質問が思い出されます。駅を出て すぐに、次から次へと、2000年以上も昔に立てられた遺跡が出現、ローマ市全体が世界遺産になっていることが、つくづく理解できました。
ローマの観光ポイントは約800箇所といわれていますが、当サイトでは、日本人観光客におなじみの約70ポイントを選び、ローマ観光局の資料をベースに5項目に分類しまとめました。
1、「ローマの休日」ロケ地巡り:日本人観光客になじみの深い
.23ポイントを紹介します。
2、美術館・博物館:主要な美術館・博物館を 9ポイント
3、大聖堂・宮殿・神殿・寺院・教会・城:主要な遺跡を 12ポイント
4、その他(岡・公園・広場・門・廟・通り・駅):主要な観光ポイントを
.22ポイント
5、ローマ近郊:主要な箇所を 9ポイント紹介します。

6、ローマの地下鉄はこちらのサイトからご覧戴けます。


g11、「ローマの休日」(Roman holiday)ロケ地巡り....................マーカーにて表示しています。)
■第二次世界大戦敗戦国イタリアの復興期において、歴史都市ローマを一躍世界の観光都市に導いたのは、架空のラブストリー映画「ローマの休日」でありました。また、この他愛のないラブストリーをかくも感動的なものにしたのは、名優たちの名演技もさることながら、2000年以上も昔に構築、建築された数々のローマ遺跡が舞台となったからでしょう。
■そして、映画の観客は、お忍びのアン王女になりきって、縛りのない自由の喜びや、人との出会いのスリル、アバンチュールを、そしてまた、ローマの歴史深い遺跡を楽しみました。この映画はまさに、旅の喜びを人々にあたえたといっても過言ではないでしょう。
■「ローマの休日」:製作 / 1953年、 アメリカ、監督 / ウィリアム・ワイラー
:キャスト / アン王女 … オードリー・ヘップバーン 、新聞記者ジョー … グレゴリー・ペック

真実の口
(Bocca della Verita)

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映画「ローマの休日」で、さらに有名となった「真実の口」はサンタ・マリア・イン・コスメディン教会の入り口にあります。「嘘つきが手を入れると食いちぎられる」という言い伝えがあり、海神トリト―ネの顔をイメージした大理石の円盤。実は、古代のマンホールの蓋でした。お忍びのアン王女はとても手を入れることはできませんでした。
コロッセオ
(Colosseo)

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紀元80年に完成し、4階建て、高さ52m、長径188m、短径156mの楕円形、最大5万人が収容できた円形闘技場。場内では、剣闘士同士の戦い、プールのように水をはって模擬海戦、猛獣と人間の戦いなど、命懸けの戦いが行われました。
アン王女はジョーの運転するスクーターでコロッセオを訪問します。
フォロ・ロマーノ
(Foro Romano)

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荒れ果てた巨大な遺跡跡を見ていると、過ってのローマ帝国時代の繁栄がしのばれます。東西600m、南北200mのこの土地は、 当時、首都機能の中心部で、神殿や元老院、裁判所、バシリカなどの公共施設や、凱旋門、市民の家などが残っています。現在も発掘調査作業が継続されています。 このセプティミウス・セヴェルス凱旋門近くのベンチで寝てしまったアン王女はジョーに起こされる。
カンピドリオ広場
(Capitolini)

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古代ローマ帝国時代、神殿が置かれ信仰の場所であったカピトリーノの丘の上にある広場。広場をうめる幾何学模様の大理石の床はケランジェロ設計が設計したもの。中心にはマルクス・アウレリウス像が立ち、その周辺にはカピトリーノ美術館、コンセルヴァトーリ宮殿などが取り巻いています。
ビットリオ・エマヌエーレ
2世記念堂 (Monumento a Vittorio Emanuele II)

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1800年代中ごろのイタリア半島は、7つの王国、公国、国家に分かれ、群雄割拠の時代、隣国フランス、オーストリアの侵攻も受けていました。サルデーニャ王国の最後の国王;ビットリオ・エマヌエーレ2世は外交や軍事力を駆使し、1870年にイタリア全土を統一しました。
初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の偉業を称えて、この記念堂がたてられました。1895年着工、1911年に完成しました。
ここの広場で、アン王女、スクーターをいじっていて急発信!フラフラ運転で大騒ぎになり警察へ。
コロンナ宮
(Galleria Colonna)

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ローマの名家コロンナ家の宮殿。内部は美術館になっており、主に17~20世紀に集められたコロンナ家所有のコレクションが展示されています。この美術館は、毎週土曜日の9:00~13:00のみ開館しています。
映画「ローマの休日」のラストシーンで,アン王女が記者会見に望んだのがここコロンナ宮の大広間でした。尚、42mの円柱(コロンナ)が建ち、豊かな水をたたえる噴水があるコロンナ広場は、コロンナ宮の北約0.5kmにあります。
パンテオン
(Pantheon)

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西暦118年ローマ皇帝ハドリアヌス帝が、再建した古代ローマ建築の至宝。高さ12mの16本のコリント式列柱でできた正面玄関に続き、高さ、直径ともに43mで、壁の厚さ6.2m、直径7.5mの天窓以外には窓がない、ローマ最大のドーム状神殿。保存状態が良いので、とても2000年前の建物とは思えません。
ロトンダ広場
(Piazza della Rotonda)

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「Piazza」は「広場」「Rotonda」は「円形建物」のこと。「ロトンダ広場」は「円形建物前広場、即ち、「パンテオン前の広場」を意味します。広場の中心には噴水とオベリスクの塔があり、パンテオンを訪問する観光客を迎えています。
映画『ローマの休日』で、このロトンダ広場を訪ねたアン(王女)は、ジョー(新聞記者)、とアーヴィング(ジョーの同僚カメラマン)を前にして、シャンペンを飲みタバコをふかすなどして、”不良ぽい女性”を演出します。
サン・ピエトロ広場
(Piazza San Pietro)

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別名バチカン広場とも呼ばれ、サンピエトロ大聖堂の前にある大広場。長さ340m、幅240mの楕円形で、17世紀のバロック様式を代表する彫刻・建築家ベルニーニが設計し、1656~1667年に建設されました。周囲の回廊には、左右対称に284本の円柱が配され、その上部に140人の聖人像が立っています。また、広場中央には、紀元40年頃にエジプトから戦利品として運ばれ、小さな競技場に建てられていたオベリスク(高さ25.5m)の塔が移設されて立っています。
エマヌエーレ2世橋
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バチカン市国から出て、テベレ川を渡り、ローマ市内に向かう時、テベレ川に掛かるのがこのエマヌエーレ2世橋。この橋を渡り、エマヌエーレ2世通りを進んで行くと、壮麗なヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂に行き着きます。
映画「ローマの休日」では、上手の橋(サンタンジェロ橋)のたもとで行われた船上パーティから、脱出、泳ぎ着いたのがこの橋の下。岸辺に上がったアンとジョーは熱いキッスを交わす。
サンタンジェロ橋
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ローマ中心部から西に向かい、テベレ川を渡りサンタンジェロ城に行くとき、テベレ川に架かる橋。古代ローマ橋を代表する華麗な、5連のアーチ橋。紀元136年に建設されました。
映画「ローマの休日」では、サンタンジェロ橋のたもとで行われた船上パーティで、アンはついに護衛部員に見つかり、乱闘となる。
テヴェレ川で船上ダンス
パーティ

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映画「ローマの休日」のクライマックスシーン。昼間、アンとジョーはスクーターに相乗りし、コロッセオ、スペイン広場、真実の口など数々の名所を訪れます。夜は、サンタンジェロ橋近くの船上パーティーにも参加し、限られた最後のひと時を思い出深いものにしようとします。一方では行方不明王女を必死で探す、シークレットサービス達はついに、ダンスに興じる王女らしき女性を発見、曲の切れ目に近づき、「アン王女ですね、すぐにお帰り下さい。」と耳打ちする。アンは「ノン、人違い!」と叫んで、後はジョーと共に、情報部員相手に大乱闘・・・、一緒に河へ飛び込んで追手の目を逃れる。
サンタンジェロ城
(S.Angelo)

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139年ハドリアヌス帝の霊廟として造られた。この巨大で強固な建造物は、時代の要請に応じ、軍事要塞となったり、時には牢獄や避難所としても使われた。教皇の住居として使われた後、現在は、軍事博物館となっています。
トレビの泉
(Fontana di Trevi)

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”ローマの繁栄は水と共に”と言われる程に、古代ローマ時代から、優れた水道技術によって、市内に水が供給されてきました。そして、水の豊かさをたたえるかのように、優れた彫刻やモニュメントと組み合わされた泉や噴水が各所に造られました。
「トレビの泉」はその代表的傑作で、古代ローマの水道設備を改修するにあたり、公募の中から選ばれた建築家ニコラ・サルヴィによって設計された作品。1762年に完成。 「後ろ向きにコインを投げ入れるとローマに再び戻れる」という言い伝えは世界的に有名。
映画「ローマの休日」では、近くのヘアーサロンで髪をショットカットし、変身したアン(王女)はこの泉の彫刻を見て、古代ローマ偉人の変身ぶりに目を輝かすのは印象的シーンです。
共和国広場
(Piazza della Repubblica)

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テルミニ駅を出て北西へ進み、ローマ最大のバスターミナルを通り抜けるとすぐに、共和国広場に行き着きます。この広場は車の行き交うロータリーになっており、その中心には4人の妖精(ナイアディ)たちが水を吹き上げる噴水があります。
映画「ローマの休日」では、アン王女が、うまく宮殿を抜け出し、小型トラックから降りた場所がこのロータリーの噴水の前でした。
バルベリーニ宮殿
(Barbenini Palazzo)

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バルベリーニ宮は現在、国立古典絵画館(Galleria Nazionale d'Arte Antica in Palazzo Barberini)になっています。マデルノ、ベルニーニとボッロミーニ(マデルノの甥)の手によって、1625年着工1634年に完成されました。大サロンの天井にはピエトロ・ダ・コルトーナの「神の摂理の勝利」が描かれ、12世紀から17世紀の絵画、家具、陶・磁器などの多くのコレクションがあります。
映画「ローマの休日」では、アン王女の滞在先大使館という設定となった場所です。
バルベリーニ広場
(Barbenini Piazza)

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この広場は、現在、車のロータリーとなっています。広場(Piazza Baruberini)の真ん中には、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニが、1632~7年に制作したトリトーネの泉(Fontana del Tritone)があります。
映画「ローマの休日」では、ジョーは車で、アン王女を送っていき、このロータリーに車を止めて、アン王女が宮殿へ戻っていくのを見届けていました。
スペイン広場
(Piazza diSpagna)

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ローマ中央駅(テルミニ駅)から北西に約2Km、地下鉄スパーニャ駅から、約100m。ローマ市内の中でも最もにぎやかなエリア。広場中央には、16世紀のバロック彫刻の大家・ピエトロ・ベルニーニ作の「舟の噴水(Fontana della Barcaccia)」があります。隣接して、有名な「スペイン階段」や有名ブランド店や高級ショップが軒を連ねるコンドッティ通りがあり、ほとんどの観光客はここを訪れます。
映画「ローマの休日」では、アン王女とジョーも多くの観光客に混じって、まさにローマの休日を楽しみます。
スペイン階段
(Scalinata di Spagna)

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(注記) 2018年夏より、歴史遺産保護法が施行され、「スペイン階段」とその下にある「舟の噴水」を含めた史跡内での「長時間滞在」や「腰掛け行為」を全て禁止されました。通行は可能。留意下さい。
1723年にフランチェスコ・デ・サンクティスによって設計され、1726年に完成した巾広い137段の階段。上がりきったところに2つの鐘楼が並ぶ「トリニタ・デイ・モンティ教会(Santa Trinita dei Monti)」があります。
映画「ローマの休日」では、ショート・カットで変身し、だれにも気づかれないと自信を深めたアン王女は、この階段でジェラート(アイスクリーム)を食べはじめる。「おいしい!」と気を緩めた瞬間に、偶然を装ったジョーに話しかけられる。このシーンは世界的に有名になり、多くの観光客もここでジェラート(アイスクリーム)をたべるようになりました。階段は汚れ、ごみが飛散したため、現在は飲食禁止となっています。
なお「スペイン」という名称は、かつてこの一角にスペイン大使館があったことに由来します。
青空市場 (Open-air Farmers' Market)
( 関連写真はこちら
アン王女がジョーのアパートを出て、すぐにさしかかるのが、青空市場。スペイン広場から2本西にある、ボッカ・ディ・レオーネ通りにあります。昔からあった露天市場で、ローマ市民はここで新鮮な野菜や魚介類など毎日の食材を買い求めます。平日は午前7時から午後2時まで、日曜日はお休みとのこと。
ちなみに、ローマで一番大きな青空市場は、ポルテーゼ門の近くにある、ポルタ・ポルテーゼ市場です。
マルグッタ通り
(Via Margutta)

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スペイン広場からポポロ広場に通じるバブイーノ通りの1本右に入った通りで、新聞記者ジョーが住んでいたアパートのあるところです。アパートの住所はマルグッタ通り51番地。アン王女はジョーのアパートに一晩泊まった後、ルンルン気分でローマの街に出かけます。
カフェ・ノテーゲン
(Café Notegen)

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スペイン広場からポポロ広場に通じるバブィーノ通りの途中にあるオープン・テラスのカフェ。 映画「ローマの休日」でアン王女が初めて行くオープン・テラスのカフェの名は 「G.ROCCA」でしたが、実際の撮影はカフェ・ノテーゲンでおこなわれました。
祈りの壁(The wall where
wishes come true)

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映画では、「真実の口」を訪問した後のラストシーン直前に出る話。ジョーが隠し撮りした多くの写真を点検する場面で、壁を見つめるアン王女の写真を見つけ、”The wall where wishes come true (望みの叶う壁)” というタイトルをつけます。写真に写る壁につけた名前で、壁そのものの名称ではありません。
しかし、壁の所在地を知りたい映画フアンは多く、何時の日にか、場所は特定されるかもしれません。Vマーカの位置はよく言われる想定位置です。


ローマの地下鉄はこちらのサイトからご覧戴けます。


g22、主要な美術・博物館.................マーカーにて表示しています。)

ウエル・ローマ文明博物館
(Museo Della Civolta' Romana)

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エウルとは、"E.U.R"と書かれ、"Espsizione Universale di Rome"(ローマ万国博覧会)の頭文字です。ローマ市郊外(中心部より南に約10km)にある副都心です。
1942年に開催予定されたローマ万国博覧会に向けて、1930年代にムッソリーニが計画、建設した近代的な人工都市です。第二次大戦により万博は中止されましたが、古代建築にあふれるローマにあって唯一の近代建築が集まるエリアとして注目されています。
なお、ローマ文明博物館では、帝政ローマ時代のローマの250分の1の模型をはじめ、ローマの起源から6世紀までの発展の歴史を詳しく解説、展示しています。
開館時間: 火曜-金曜  9:00-14:00 土曜-日曜 9:00-19:00  月曜休館
入館料: 6,50 ユーロ
国立先史・民族学博物館
(Museo Nazionael Preistorico ed Etnografico "Luigi Pigorini")

( 関連写真はこちら
この博物館はエウル(E.U.R)の中心部に位置し、古代ローマよりもさらに古い、旧石器時代からの人間の化石、動物化石、鉄器、葬祭品と出土、発掘品が展示されています。これらの展示品からみると古代ローマの遺跡はまだ新しいものの印象を受けます。
カピトリーノ美術館
(Musei Capitolini)

( 関連写真はこちら
ベネチア広場の南、カピトリーノの丘(Monte Capitolino)にある美術館です。 1471年に教皇シスト4世が創立した美術館で、歴代教皇のコレクションを展示し、ローマ時代の彫刻や中世の絵画の他、歴代皇帝や古代の思想家などのブロンズ像も観覧できます。一般公開された美術館の中では世界最古のとしても知られています。
開館時間: 9:00-20:00 月曜休館、入館料: 6,20 ユーロ
国立東洋美術館(Museo Nazionale d'Arte Orientale)
( 関連写真はこちら
ルネッサンスの時代にはイタリアを中心に彫刻、絵画、建築等の美術は見事に開花する。さらには異文化芸術へのあこがれも高く、とくに、中国、韓国、日本の芸術作品は機会あるたびにコレクションされました。これら東洋の芸術作品はイタリアの所蔵となり、この国立東洋美術館 に保存、開示されています。
ローマ国立博物館(Museo Nazionale Romano)
( 関連写真はこちら
ローマ中央駅(テルミニ駅)のバスターミナルに面して建っています。このエリアは古代ローマの浴場(ディオクレティアヌス帝浴場)跡であり、この国立博物館はイタリア統一50周年を記念して1911年に建設、開館されました。(現存するディオクレティアヌス帝浴場遺跡はこのバスターミナルの北隅にあります。)
収蔵品は、ローマおよび近郊から発掘された古代の彫刻、壁画、モザイク、考古遺物などです。
バチカン美術・博物館
(Musei Vaticani)

( 関連写真はこちら
美術館内マップはコチラを参照下さい。
バチカン宮殿内にある約30の博物館、美術館などの集合体です。16世紀以降の歴代ローマ法王がその財力と権力にものを言わせ集めたもので、法王のプライベート・コレクションとも言われています。各時代の最高芸術を見学することができ、特に、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエッロ、フラ・アンジェリコらの作品を見ることが出来ます。
バチカン美術・博物館入口
( 関連写真はこちら
巨大な楕円形のサン・ピエトロ広場にやってきた多くの観光客は、続いて、この有名な美術・博物館に入ろうとして、入口が見つからず右往左往します。この美術・博物館への入り口は、ローマ地下鉄A線「バチカン博物館駅」の方にしかありません。そして、美術・博物館から、広場へと一方通行になっているのです。この広場からは、一旦 バチカン市国の北側に周り、地下鉄A線「バチカン博物館駅」側にある入口より入ります。
ボルゲーゼ美術館
(Galleria Borghese)

( 関連写真はこちら
スペイン広場の北側に広がる広大なボルゲーゼ公園の東の端にある美術館です。もともとこの館は、1617年にボルゲーゼ枢機卿が狩のために建てた別荘でしたが、バロック様式の壮麗さや美術的価値も高く、改装されて、1891年に美術館として開館しました。展示品は枢機卿のコレクションを中心に、ベルニーニやカラバッジョ、ラファエッロ、ティッツィアーノなど、名だたる歴代作家の作品も含まれており、世界有数のコレクション型美術館のひとつとして数えられています。
ヴィラ・ジュリア国立博物館
(Museo Nazionale Etrusco di Villa Giulia)

( 関連写真はこちら
現在、美術館として使用されている建物は、ルネサンス末期1560頃、教皇ユリウス3世の別荘として建てられたもの。広大なボルゲーゼ公園の北西に位置しています。
当館はエトルリア美術を専門に収蔵展示しています。エトルリア文化は、ローマの征服以前のイタリア半島に栄えた、ギリシャの影響の強い文化で、紀元前7世紀~紀元前6世紀頃が最盛期でした。当館は約7万点の収蔵品を誇り、エトルリア美術のコレクションとしては世界最大のものです。
日本文化会館
(ISTITUTO GIAPPONESE CULTUTA)

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ローマ市北部のベッレ・アルティ通りあり、上述のヴィラ・ジュリア国立博物館の向かい隣に位置します。友好国イタリアに日本文化会館を設置する構想は、第2次世界大戦以前よりありましたが、計画が具体化したのは、日伊文化協定が締結された1954年。その後 1961年1月に建設に着手し、構想より30年近い時を経て、1962年12月12日、海外初の日本文化会館がローマに開館しました。日本関係の図書資料を収集する日本研究専門図書館です。15歳以上の方ならどなたでもご利用になれます。卒論執筆のためのビブリオグラフィー作成や、日本に関する情報の窓口としてリファレンス・サービスも行っています。
ローマ国立近代美術館
(Galleria Nazionale d'Arte Moderna)

( 関連写真はこちら
ボルゲーゼ美術館と同じボルゲーゼ公園の中にあります。1883年開館で、現在の外観は古代ローマ風建築で、重厚なものです。全部で75の展示室がある2階建て、中庭を中心にして、左側に19世紀、右側に20世紀美術を展示しています。


ローマの地下鉄はこちらのサイトからご覧戴けます。


g33、大聖堂・宮殿・神殿・寺院・教会・城・廟...................マーカーにて表示しています。)

サン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂 (San Giovanni in Laterano)
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ローマの五大バジリカの一つ。コロッセオを出て、東南方向伸びるサン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ通りを約1.5km進むと、この大聖堂に行き着きます。ローマにある5大聖堂の中でも最古のものといわれています。
キリスト教が公認された直後の313年に建設された、歴史深い聖堂です。1309年~1377年一時期、南フランスのアビニョンに、ここの法王庁は移転を余儀なくされた(アビニョンの捕囚と呼ばれる)が、再びローマに帰り現在に至ります。サン・ピエトロ寺院を凌ぐ格式高い寺院です。
サンタ・マリア・イン・コスメディン教会 (Santa Maria in Cosmedin) 
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映画「ローマお休日」に出る「真実の口」が、この教会の入り口にあるので有名。
テベレ川とチルコ・マッシモ(古代の戦車競技場)の間にある教会です。6世紀に建てられ、12世紀にはロマネスク様式の鐘楼が増築されました。鐘楼の最上階の部屋はローマ遺跡の中では、地上最も高層階にある部屋でした。
ヴェスタ 神殿
(Tempio di Vesta)

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「真実の口」広場には、ヴェスタの神殿(ウェスタの神殿)とフォルトゥーナの神殿(フォルトゥナの神殿)とがあります。
ヴェスタの神殿は、20本のコリント式の柱に囲まれた円形のユニークな神殿です。アン王女が警察から出てきたとき背後に見えることで、よく知られています。また、紀元前2世紀後半に建造された大理石の神殿で、ローマで大理石の神殿としては最も古いものです。
フォルトゥーナの神殿は下記を参照下さい。
フォルトゥーナの神殿
(Temple of Portumnus)

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「真実の口」広場にある神殿です。正面に4本の円柱を持つ四角い神殿で、紀元前6世紀に、港の守護神ポルトゥヌスを祀って建てられました。
ジェス教会
(Chiesa del Gesu)

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1500年代になり、マルティン・ルターはイエス・キリスト教について宗教改革を訴えプロテスタント派運動をおこしました。一方では従来からの多くのキリスト教徒はカトリック派(イエズス会)としてまとまっていきます。このジェス教会は、1568年から75年にかけて、カトリック派(イエズス会)の母教会として建設されました。世界中のイエズス会の教会はこの教会をモデルとしています。特にUSA各地の教会にその傾向は強いものです。ジェズ教会の西方にはジェズ広場があり、東隣はベネチア宮殿です。
ベネチア宮殿
(Plazzo Venezia)

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1455年、後に教皇パウルス2世となるヴェネツィア出身の枢機卿ピエトロ・バルボによって建てられました。ローマで最も古いルネッサンス様式の宮殿。チェーザレ(1475-1507、一時ローマを支配した聖職者)の時代にはサン・マルコ宮殿と呼ばれていました。
ムッソリーニが、英仏との開戦を宣言する演説をしたバルコニーも残っています。隣接して、ジェズ教会、荘厳な姿のヴィットリオ・エマヌエーレ二世記念堂等があります。
サンタ・マリア・マッジョーレ教会 (S.Maria Magglore)
( 関連写真はこちら
ローマの五大バジリカの一つ。サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂とも呼ばれて、ローマ中央駅とコロッセーオのほぼ中間にあります。「サンタ・マリア・マッジョーレ」は「聖母マリアの聖堂」とも言われ、カトリック信仰において古代より尊重されてきた聖母マリアへの崇敬を表す聖堂という意味があいます。世界に数多ある「聖母マリアの聖堂」の中でも最大のものです。5世紀に創建され、13世紀には地震により被害を受け、大修復が行われました。唯一原構造を残している貴重な建築物です。
ヌオーヴァ教会
(Chiesa Nuova)

( 関連写真はこちら
ローマの中心部、コロッセオからエマヌエーレ2世通りを進み、バチカン方面に行くとき、途中にこのヌオーヴァ教会があります。
日本人観光客にはあまりなじみのない教会でしたが、映画「ローマの休日」の一シーンで登場し、知られるようになりました。
映画のヒーロ、新聞記者、ジョーが寝過ごしてアパートの窓から見える教会の時計台で時刻を確認しましたが、この時計台があるのが、ヌオーヴァ教会でした。
ヌオーヴァ教会は、12世紀にグレゴリウス1世_(ローマ教皇) がこの地域に教会を建てたことから始まる。1575年、グレゴリウス13世_(ローマ教皇) により本堂の建設が始まり、1577年に完成し、1599年に教会となりました。
サン・ピエトロ大聖堂(寺院)
(Piazza San Pietro)

( 関連写真はこちら
ローマの五大バジリカの一つ。ローマ時代の紀元67年に、異教の罪に問われ殉教したサン・ピエトロの墓地に、紀元315年に、キリスト教を国教として認めたコンスタンティヌス帝が教会をたてました。キリスト教の拡大に伴い、この教会は、1506年から数十年かけて、世界の教会の中心になるべく改築されました。さらには、キリスト教の総本山として、1626年再び増改築され現在の大聖堂となりました。
大ドームの建屋は「クーポラ(Cupola)」と呼ばれ、直径は42m、高さ132m、奥行き186mあり、6万人を収容できる規模を持ちます。
バチカン宮殿
(Palazzi Vaticani) 

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サン・ピエトロ寺院(大聖堂)の北側に隣接する宮殿で、1309年の「アビニョンの捕囚」以後教皇の住居宮となっています。宮殿内には、美術館や図書館など多くの施設があり、公開部分は「バチカン美術・博物館」として見学することができます。 ローマ教皇の一般謁見は、ほぼ毎週水曜日の朝に開かれます。謁見を希望する場合は、余裕を持って申し込み、チケットを取る必要があります。予約は、ヴァチカン市国教皇庁事務所に電話で予約できます。電話番号:011-39-06-698-83017。
サン・パウロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂(San Paolo Fuori le Mura) 
( 関連写真はこちら
ローマの五大バジリカの一つ。サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂はローマにあるカトリック教会の大聖堂。名称は「城壁外の聖パウロ大聖堂」の意味である。コンスタンティヌス1世により聖パウロの墓の上につくられたもの。386年、テオドシウス1世によって大規模に建設された。 1823年に火災で焼失するが、その後再建された。
サン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(San Lorenzo fuori le Mura) 
( 関連写真はこちら
ローマの五大バジリカの一つ。サン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂はローマにあるカトリック教会の大聖堂。名称は「城壁外の聖ラウレンティウス大聖堂」の意味である。この大聖堂は聖ラウレンティウス(ロレンツォ)の墓の上につくられ、彼を記念している。助祭であったラウレンティウスは258年にローマで殉教した七人の殉教者のうちの一人である。この聖堂の地下の発掘作業によって多くの墓が発見されている。1943年には連合軍の爆撃によって破壊され、1948年まで修復作業が行われた。


ローマの地下鉄はこちらのサイトからご覧戴けます。


g44、その他(岡・公園・広場・門・通り・駅・蚤の市).......................マーカーにて表示しています。)

カラカラ浴場
(Terme do Caracalla)

( 関連写真はこちら
カラカラ浴場跡はコロッセオの南1kmにある古代ローマの浴場跡です。紀元217年頃、カラカラ帝がローマ市民のために広大な娯楽浴場として建造し、330m四方の敷地に幅220m、奥行き110mの建屋がありました。その中には2000個以上の浴槽があり、一度に約1600人が入浴できたと言われています。また浴室には、熱浴室、温浴室、冷浴室などもあり、そのほか、サウナ、マッサージ室、プール、体育館、運動場、図書室まで完備していたことがわかっています。
ポルテーゼ門のノミの市(Porta Portese)
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ティベレ川の唯一の島ティベリナ島の西岸一帯はトラステベレ地区とよばれるローマの旧市街地です。毎日曜日の午前中ベース(9:00~14:00)に、この地区のポルテーゼ門を中心に開かれているポルタポルテーゼ-蚤の市は、イタリアでもっとも有名な蚤の市。俗に泥棒市ともいわれています。ローマっ子も集まり、興味深い場所です。
チルコ・マッシモ
(Circo Massimo)

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ローマ時代の競技場。 楕円形(664mx123m)の馬車式戦車競技場で、約25万人は収容できたといわれています。 映画『ベンハー』はこの戦車レースをみごとに再現した名作、レースに命をかける戦士たち、掛け金を手に大声援を送る観客、スクリーンを観入る我々もすっかりスタジアムに陣取るローマ人となって、この大迫力に大興奮。この映画は史上不滅の名作でしょう。この競技場跡も現在は単なる野原となっています。
トラステヴェレ
(Trastevere)地区

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「真実の口」のあるサンタ・アリアイン・コスメディン教会を出て西方にテイベル川を渡るとローマの下町といわれるにトラステベレ地区に入ります。入り組んだ狭い石畳の道と、古い家並みが残るローマの旧市街地です。庶民的なレストランが多くあり、夜遅くまで地元の若者で賑わいます。
パラティーノの丘
(Monte Palatino)

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フォロ・ロマーノやコロッセオの南にある丘で、紀元前753年に双子の兄弟ロムルスとレムスがこの地に町を造ったのがローマの始まりといわれています。パラティーノの丘の高台から、古代ローマ帝国の遺跡やローマ市街を一望のもと眺めることができます。
コンスタンチヌスの凱旋門
(Arco di Constantino)

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315年にコンスタンチヌス帝がマッセンツィオ帝との戦いに勝利した記念に建てられたもので、ローマで最大の凱旋門です。 コロッセオに面して建っています。高さ28mで3つのアーチを持ち、表面の飾り付けの大半は他の建造物から移築されたものです。パリの凱旋門はこれをモデルにしたものと言われています。
セプティミウス・セヴェルスの凱旋門(Arcus Septimii Severi)
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時は3世紀の初頭、皇帝セプティミウス・セウェルスがパルティア戦争(194年~199年)での勝利を記念して紀元203年に建設された。コロッセオから約200m、フォロ・ロマーノに入る時に通ります。
映画「ローマの休日」ではポーカーをやめて帰宅する途中の新聞記者ジョーが、この凱旋門そばの石垣に長々と寝ているアン王女を見つけ起こします。
ティトゥス帝の凱旋門
(Arcus Titus)

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この凱旋門は、フォロ・ロマーノの東の外れにあります。エルサレムを制覇した皇帝ティトゥスの勝利を記念して、西暦81年に建てられたそうです。凱旋門のアーチ内部の天井にはティトゥス帝の凱旋式の様子が描かれ、また、エルサレムの戦利品がレリーフに描かれています。
ティベリーナ島
(Isola Tiberina)

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テヴェレ川に浮かぶ、全長270m、最大幅が67mの唯一の中州島。紀元前3世紀頃にはギリシアの医療の神エスクラピウスの神殿があったため、病気療養の人々が治癒の祈願に参拝したといわれています。現在も巨大な病院が置かれています。小さな川にある小島ですが、長い歴史の中でよく洪水にあい、被害と修復が幾度と無く繰りかえされました。
ジャニコロの丘
(Colle Gianicolo) 

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トラステベレ地区の北にあり、丘に立つと眼下にテベレ河を臨みローマが一望できます。 展望台になっている高台広場には、大砲が据えられており、毎日12時になると、砲声が町中に轟きます。
トラヤヌスの市場
(mercati Traianei)

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今は廃墟となってわびしいが過ってはローマきってのショッピングモールでした。紀元100年~110年ごろ、トラヤヌス帝が造ったまさしく市場専用の建物で、世界最古のショッピング・モールといわれています。設計は皇帝おかかえの建築家アポドロスで、半円形かつ6層のユニークな建物であった。当時はおよそ150もの店舗が入り、ここにくればほとんどの食料品、衣類、装飾品、ワイン等の酒類、その他生活用品を購入できたといわれています。
トラヤヌスの記念柱
(Colonna Traiana)

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コロッセオから北西に約1Km、ベネチア広場の東にあります巨大な大理石柱。トラヤヌス帝がダキアの戦いで勝利した記念に114年に建造した。柱の高さは約30メートルで、巨大な台座を加えると全高約38メートルにもなります。1つ40トンもある巨大なドラム形の大理石(直径3.7メートル)を20個積み重ねてできています。柱を螺旋状に23回まわっているフリーズ(浅浮き彫り)は190メートルの長さがあります。円柱の内部には185段の階段があり、頂上の展望台まで登ることができます。柱頭ブロックは約54トンもあり、地上から約34メートルの高さに据えられています。
ベネチア広場
(Piazza Venezia)

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ローマのへそと言われ程に街の中心にあたる広場。主要道路、フォーリ・インペリアーリ通り、コルソ通り、プレビシート通りが接続し、車のロータリーとなっています。南には「ビットリオ・エマヌエーレ2世記念堂(Monumento a Vittorio Emanuele II)」がそびえ、この記念堂の西側にもベネチア広場があります。そしてこの広場の主は「ベネチア宮殿(Plazzo Venezia)」で現在は博物館となっています。
ナヴォーナ広場
(Piazza Navona)

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パンテオンの西0.3kmにある広場です。 1世紀に建造、長さ240m、幅65mの細長い楕円形の広場は、チルコ・マッシモと同様に戦車競技場でした。バロックの巨匠ベルニーニ作による「四大河の噴水(Fontana dei Fiumi)」、「ムーア人の噴水(Fontana del Moro)」や ザッパラとピッタ作の「ネプチューンの噴水(Fontana del Nettuno)」など必見。今は、市民憩いの場所として、多くの人が散策に訪れ、有名なカフェやジェラート(アイスクリーム)屋など、多くの屋台が並んでいます。
ゴヴェルノ・ヴェッキオ通り
(Via del Governo Vecchio)
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この通りは、ローマの中心、ナヴォーナ広場からわずか50メートルのところにあります。この通りの39番地にローマの総督(ゴヴェルナトーレ)が住んでいて1700年代の中庸までこの屋敷を使っていたため、ゴヴェルノ・ヴェッキオ通りと呼ばれるようになりました。道両側の建物はルネッサンンス様式で、現在も大半は昔と変わらず、表現しがたい雰囲気のある通りです。 現在は、オリジナリティ豊かで他所では見られないファッション・ブティックや古着商が数多く集まっています。この地域は夕方から夜ふけまで多くの人が集まり、賑わい、ローマの最も活気のある区域の一つとなっています。食べたり飲んだりしながら「ローマ式」ショッピングが楽しめるところです。
テルミニ駅
(Stazione di Roma Termini)

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ローマ最大の駅、テルミニ駅は、国際・国内列車が発着し、駅周辺には地下鉄、観光バス、市内バスのターミナルがあります。コロッセオと同様、ローマ観光の目印、起点となります。なお、空港~テルミニ駅はレオナルド・エクスプレスにより、ノンストップ32分で結んでいます。
コンドッティ通り
(Via Condotti) 

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スペイン階段を下りてスペイン広場を横切りまっすぐ、西に行くとコンドッティ通りにはいります。この通りには、グッチ、ブルガリ、フェンディ、プラダ、……などの有名ブランド店が軒を連ねています。ローマ屈指の高級ブランド・ストリートと言われています。
アウグストゥス廟
(Mausoleum of Augustus)

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ローマ皇帝アウグストゥスの大規模な墓として、紀元前28年にローマのカンプス・マルティウスに建造されたもの。この霊廟の大きさは、高さ42m、直径90m。
テベレ川
(Fiume Tevere)

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ローマ市内を蛇行しながらながれています。古代~近代ローマの歴史の中も流れてきました。イタリアで3番目に長い川。 近年は、ローマのロマンチックな夕べをワイン&ディナーで楽しむクルーズツアーがあります。クルーズはサンタンジェロ城から出発、ライトアップされた古城やローマ旧市街を眺めながらゆったりと下り、悠久のロマンを楽しみます。
ポポロ広場
(Piazza del Popolo)

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スペイン広場から北西に、バフィーノ通りを約800m行くと大きなポポロ広場に出られます。この地域は古代ローマ時代よりローマへの北の玄関口でした。3世紀の中ごろ、アウレリアヌス帝が、ローマを囲む城壁(270年~273年)をつくると、ここは北の関所、ポポロ門(現フラミニオ門)となりました。16世紀初頭にはこのポポロ門を挟むように双子教会が建てられ、1589年には、門前の広い通路には、関所目印としてオベリスクの塔(紀元前1200年頃にエジプトでつくられたもので紀元2~3世紀ごろ、ローマ軍が戦利品として持ち帰ったもの。)最初はチルコ・マッシモに設置されたがここに移設設置されました。19世紀になると、ロータリーを兼ねた広場に整備され、現在に至っています。
ポポロ門
(Gate of Popolo)

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ポポロ門(フラミニオ門)は、ローマの北の玄関です。北からの巡礼者は皆、このポポロ門からローマに入りました。門の横にはポポロ広場の名の由来になった、サンタ・マリア・デル・ポポロ教会(双子教会)があります。
ボルゲーゼ公園
(Villa Borghese)

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スペイン広場からポポロ広場の北東、城壁の外側に広がる市内で最も大きな公園(東西1.5km、南北1kmほど)です。この公園域はもともと野生動物をハンティングする場所でしたが、1901年には、噴水や遺跡建造物、庭園などを整備改築して公園となりました。公園の南東にはローマ時代の城壁の門「ピンチャーナ門(Porta Pinciana)」があり、公園の西端にある高台、ピンチョの丘からは、ローマ市街を一望することができます。
ミルヴィオ橋のアンティーク市(Antiquariato a Ponte Milvio)
テーヴェレ川 (Tevere)に架かるミルヴィオ橋の西側、川沿いに約200店が出るアンティーク市。日時:毎月第2,3,4日曜日(第2,4はアンティーク主体、第3は手工芸品(Handcraft))。ローマのサッカー競技場”スタディオ・オリンピコ”の近く。
(注記)このミルヴィオ橋地区のマーケットは川沿い約500mから北部約1Kmの地区が昔からの市場町で、場所によって、「第一日曜日、その前日の土曜日」市場とか「第一日曜日」市場、毎日市場があります。情報として混乱する場合があります。
サンニオ通りのプチマーケット(Mercatino di Via Sannio)
キャンプ、ミリタリー服なども含み、新品、中古品、古着の衣類を扱う昔ながらのマーケット。 場所:サンニオ通り(Via Sannio) - サン・ジョヴァンニ(San Giovannni)。日時:月曜から土曜まで毎日 午前9時から13時まで (土曜は8時から17時まで)。アクセス:地下鉄テルミニ駅からA線 サン・ジョヴァンニ(San Giovannni)駅下車
ヴェルディ広場のアンティーク市(Antiquariato a Piazza Verdi)
骨董品、装飾品、コレクション品等のプチマーケット。場所:ヴェルディ広場(Piazza Verdi) - サラーリア通り( via Salaria)。日時:毎月第4日曜日 朝から日没まで 。アクセス:ボンコンパーニ通りvia Boncompagni からバス52番でパイシエッロ Paisiello 下車
ボルゲット・フラミニア・アンティーク市(Antiquariato Borghetto Flaminio)
デラ・マリーナ広場(Piazza della Marina 32) で開かれる骨董品、装飾品、コレクション品等の専門マーケット。日時:毎日曜日(8月は除く) 午前10時から19時まで。


ローマの地下鉄はこちらのサイトからご覧戴けます。


g55、ローマ近郊...................マーカーにて表示しています。)

オスティア・アンティカ
(Ostia Antica)

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ローマの南西25km、テベレ川河口にある古代都市遺跡です。 紀元前4世紀にテベル川河口を防衛するためにローマ帝国が創設した軍事城塞でした。紀元2世紀ごろ、ローマ帝国最盛期には、地中海交易の拠点港として繁栄し、人口10万人を擁する大都市ともなりました。しかし、紀元3世紀になるとゲルマン民族等の外敵侵攻を度々受けるようになり、マラリアの蔓延を受けると都市は急速に衰退していきました。さらに、紀元5世紀に起きたテベレ川の大洪水で都市は土砂の下に消滅してしまいました。火山灰に埋まったポンペイと同じような運命をたどりました。
ローマ・レオナルド・ダ・ビンチ国際空港(フィウミチーノ空港)
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ローマ国際空港=レオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港=フィウミチーノ空港といろいろな名前をもっています。空港からローマ中央駅(テルミニ駅)まで(約40km)は直通列車で30-40分 エクスプレスと普通便があります。この空港は、ミラノのミラノ・マルペンサ国際空港と並び、イタリア最大級の空港の一つであり、アリタリア航空のハブ空港になっています。
アッピア街道
(Via Appia) 途中点

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「すべての道はローマに続く」と言われるように、ローマ帝国は多くの軍用道路を建設しました。最初に出来たのは「アッピア街道」で紀元前312に建設がはじまり、終点のアドリア海に面する港町ブリンディシ(Brindisi)まで約750kmに及び、全開通するのに70年かかりました。サン・セバスティアーノ門から4km 程度(起点から約5~6km)行くと、約2300年前のアッピア街道を散策することが出来ます。
カタコンベ=サン・カッリスト教会(Catacombe=地下墓地)
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カタコンベとは、2世紀から5世紀にかけてイタリア半島を中心に地中海世界全域に広がった古代キリスト教徒の地下墓地の総称です。古代ローマでは城壁内の街中に死体を葬ることが禁じられていたので、当時のローマ人は城外で、洞窟、岩屋や地下の洞穴を利用して共同地下墓地をつくり、死者を葬り、弔いました。例えば、ローマから南東に伸びる、アッピア街道では、ローマ起点からの距離約6Kmのところに、過っての採石場のトンネルを利用したカタコンベがあります。トンネルの長さは数キロにも及び、階層構造となっています。ここに出来た教会が、「サン・カリスト教会(San Callisto)」や「サン・セバティアーノ教会(San Sebastiano)」で、世界的な観光ポイントとなっています。
アッピア街道
(Via Appia) 始点

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ローマ帝国は領土を拡大すると、先ず造ったのは、ローマ直結の石畳高速道でした。いわゆる、有事の際の軍用道路で、1辺70cm程度の大石を隙間なく敷き詰めた全線敷石舗装の道路でした。アッピア街道の始点は、現在のローマの旧市街をめぐっているアウレリアヌス城壁の18の門のひとつであるサン・セバスティアーノ門(旧称アッピア門)でした。
日本大使館
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在イタリア日本国大使館 (Ambasciata del Giappone)
住所:Via Quintino Sella, 60 00187 Roma、TEL:06-487-991、FAX:06-487-3316
ホームページ:(日本語)http://www.it.emb-japan.go.jp
領事窓口時間:9時30分-12時45分, 14時15分-16時30分
ハドリアヌス帝の別荘
ヴィッラ・アドリアーナ
(Villa Adriana)

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ティボリの西3kmにあるローマ帝国時代のハドリアヌス帝の別荘です。AD117年から130年頃に、地中海遠征で各地で見聞したものを参考に、約80haの敷地に、宮殿や神殿、海上劇場、浴場などが建設されました。138年の皇帝の死後は異民族の侵入で廃墟となりましたが、15世紀に発掘が行われて、その全貌が明らかになりました。
エステ荘
(Villa d'Este)

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1550年にイッポリート・デステ枢機卿が修道院の建物を豪華な別荘に改築したもので、ティボリ市街の西にあります。 後期ルネサンス様式の美しい庭園に、彫刻を施した噴水や泉が500以上もあります。 これらはすべて動力を使わず自然に吹き上がるようにエコ仕掛けが使われ、135mにわたって続く「100の噴水」や、「ドラゴンの噴水」、「ネプチューンの噴水」など、”水の劇場”などと比喩されて、観光客を魅了します。
ティボリ
(Tivoli)

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ローマの東30km、自然豊かな田園地帯の丘の上にある町です。ローマ時代から皇帝や貴族に好まれる土地柄で、いくつかの別荘が建てられています。またティボリ郊外にあるルネッサンス様式の噴水庭園ビラデステも必見。
スタディオ・オリンピコ
(Stadio Olimpico)

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1953年5月17日竣工。ローマオリンピック(1960年)のメイン会場として建設された。愛称はオリンピコ。SSラツィオとASローマがホームスタジアムとしている。収容人数72,700人。FIFAワールドカップ(1990年)で使用するために半透明の楕円形屋根が付けられるなど改修されました。また、改修前の1987年世界陸上競技選手権大会のメインスタジアムにも使用された。
マンチーニ広場
(Piazza Mancini)

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イタリアの誇る競技場、オリンピコへの行き帰りに利用されるバスターミナルがあります。(往路):ローマ市バス(Atac)910番系統を利用します。テルミニ駅始発なので座れる上に、降りるのは、ここマンチーニ広場(PIAZZA MANCINI)が終点なので初めての人には特におすすめ。所要30分。但し渋滞に巻き込まれることが度々あるので、時間には余裕を持って利用した方が良い。スタジアムまではテヴェレ川を渡り、徒歩約10分。(復路):ローマ市バス(Atac)910番系統を利用します。スムーズにテルミニ駅まで戻れる方法ですが、往路よりも時間帯によっては渋滞する可能性は高い。時間的にはポポロ広場経由の方が早いこともあります。


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ローマの基本データ
市行政
■ローマの行政区分では19のムニチーピオという地域に区分されます。この区分は中心部への集中を分散化することを目的として創設され、各ムニチーピオは区長、および5年おきに選挙で選出される4人の議員によって運営されています。(Wiki参照)
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歴史・概要

城壁に囲まれたローマ歴史地区

■ローマは、イタリア中部のティレニア海側にある人口280万人ほどの首都。市内には、北から南にテベレ川(Fiume Tevere)が流れ、7つの丘があります。この7つの丘の一つ”パラティーノの丘”に紀元前753年ごろ”始めてのローマ”が建設されたといわれています。地の利を生かし、古代から都市国家として栄え、ローマ帝国の中心都市でありました。中世から近世はローマ教皇領の首都として栄え、1871年にイタリア王国として統一された時も、首都に指定され、第二次大戦後は世界有数の観光都市となりました。
気候
■ローマの気候は温暖で、冬以外は雨が少ない地中海性気候です。全体的には日本の気候と良く似て、四季の区別がはっきりしています。
■ローマでは夏は日差しも強く乾燥し、冬に比較的雨が多くなります。国土は南北に長いので、地域による気温差が大きいことにご注意ください。
また、昼と夜の寒暖の差が大きいので夏でも長袖やジャケット等が一枚あると便利です。特に北イタリアでは冬はかなり寒くなります。
ローマの月別平均気温(最高・最低)・降雨量
1月 2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
最高121316192328313128231714
最低346812151818151185
降水量1031006865503523336895130110
気温:℃ 降雨量:mm/M 資料:WMO(世界気象機関) のデータより
エコ・クラス快適グッズ:
カナダ産木製、表面
絶妙の曲面加工
スカイサーフィンをどうぞ
高さ(H)調整自由自在
(約150g,26x8x1.4cm)
ムクミエコ・クラス
症候群
を完全防止します。
ご利用者様のご意見開発の経緯ご購入要領をご参照下さい。
フライト
■日本からローマへは直行便があります。成田発は毎日2便(ロ-マ行き、ミラノ行き)、関空発は火、水、土、日曜日、一便ローマ行きがあります。JALとアリタリアーイタリア航空のコードシェアー便(共同運航便)です。
■経由便ならソウル経由のコリアンエアー、パリ経由のエアーフランス、オランダ経由のKLMなどなど、さまざまな飛行機が飛んでいます。
【留意事項】:昨今の航空事情により、突然変更になる場合があります。渡航前には再確認下さい。
所要時間
日本からの直行便の場合:約13時間、経由便:15~18時間
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空港
【ローマ】:フィウミチーノ空港(別名:ローマ・レオナルド・ダ・ビンチ国際空港、イタリア語:Aeroporto di Fiumicino、英語:Fiumicino Airport)は、ローマの南西部、27Kmにあり、アリタリア航空のハブ空港になっています。
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空港
アクセス
■ローマ:フィウミチーノ空港(別名:ローマ・レオナルド・ダ・ビンチ国際空港)からローマ市内間までは、鉄道、路線バス、タクシーを利用します。
【鉄道】:空港と連絡通路で結ばれている空港駅へは、荷物をキャリーに載せたまま出ることができます。ここからローマ市内のターミナル駅Termini(テルミニ)まで約30分のノンストップ便レオナルド・エキスプレスがでています。普通列車では、ローマ市内ティブルティーナ駅まで約45分です。
【レオナルド・エクスプレス ( Leonardo Express)】: は、ローマ・テルミニ駅とフィウミチーノ空港を途中停車無しで、所要時間31分で結ぶ列車です。発車間隔は30分毎で、フィウミチーノ空港の始発は6時30分で終電は23時35分、ローマ・テルミニの始発は5時52分で終電は22時52分となっており(平日、祝祭日も同じです)、ストライキの場合も運行されています。車両は一等車のみで、空調も完備、快適です。 料金は片道、一人14ユーロである(12歳未満は無料)。全ての列車はローマ・テルミニ駅の手荷物預かり所に近い24番線に到着します。
【路線バス】:ローマ市内ティブルティーナ駅まで約60分です。
【タクシー】:到着ロビーを出るとすぐにタクシー乗り場があります。正規のタクシーは黄色と白の2タイプ。それ以外の違法タクシーにはご注意ください。ローマ市内へは約50分。


レオナルド・エキスプレス
旅の基本データ................................(別紙ページの「イタリアへの旅」も参考にして下さい。)
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ローマ
旅行
ご予算情報
ローマ 6日間:¥152,000~¥177,000
出発日:2013年04月05日~2013年06月30日
有効期限:2013年02月05日~2013年04月22日
ローマ 8日間:¥149,000~¥179,000
出発日 2013/04/16 ~ 2013/06/25
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